中塚 翠涛(なかつか すいとう) さん
文学部中国文学科 2001年度卒業
書家
書やアートが暮らしに寄り添うことで
日常がより豊かに感じられる
そんな作品をつくっていきたいです
100周年を機に制定されたこの新しいタグラインは、
大東文化大学のあるべき姿を表現しています。
大東文化大学は、創立以来、
漢学をはじめとする様々な文化との出会いを通じて
社会を豊かにすることを目指してきました。
文化と向き合って100年。
地域・領域・時代を超えた多彩な文化が交差し、
出会う場へ。
今日も新しい価値が生まれている。
その真ん中には、いつも、大東文化大学がいます。
真ん中に文化がある。
大東文化大学
活躍する大東人SP
2023.09.20
1923年(大正12年)の設立以来、多くの優秀な人材を輩出してきた大東文化大学。
年代も活躍する分野も多様な本学の卒業生たちに、大学時代の思い出から現在の活動スタイルまで、貴重な話をお聴きしました。
中塚 翠涛(なかつか すいとう) さん
文学部中国文学科 2001年度卒業
書家
書やアートが暮らしに寄り添うことで
日常がより豊かに感じられる
そんな作品をつくっていきたいです
──書家として活躍する中塚さん。なぜ、大東文化大学を選んだのでしょうか。
中塚:大きなきっかけは、高校時代の担任の先生に「書道を深められる、素晴らしい学校があるから」と勧められたことでした。それまでは、書に関わりのない大学に進学するつもりでした!でも、大東文化大学の大学案内パンフレットを読んで、自分の知らない書の世界を深め、見聞を広められるチャンスになれば!と、両親に懇願しました。
──大学時代の経験で、現在の活動に役立っているものはありますか。
中塚:書家としての活動に活きている経験は2つあります。1つ目は、授業の中で、私の字が中国のある時代の字にそっくりだと先生に指摘していただいたことです。自分の字をある時代の文字と結びつける発想に衝撃を受けました。というのも、幼少期から大学入学前までの私は、書道とは「いかにお手本通りに上手な字を書くか」が大切だと思っていたからです。そして、一方で絵と書に境界線があることに違和感を覚えていた幼少期の私に光が差し込んできたような出来事でした。先生のお言葉から、書道と書体が持つ歴史的背景への興味が大きくなり、学びにつながりました。また、自分が今後どういうものを書いていきたいのかを深く考えるきっかけにもなりました。字を書く際は、書体が生まれた時代の背景や当時の空気を大切にしつつ、なるべく自分がその時代にタイムトリップするよう心がけています。そのような意識が生まれたのも、大学の授業で先生の言葉と出会ったおかげだと思っています。
──もう1つの経験は、どのようなものでしょうか。
中塚:「無」という漢字が持つ色のイメージについて、友人と一緒に、キャンパスプラザでいろいろな学生にアンケート調査をした経験です。赤、青、黒など、印象は十人十色。アンケート結果を通じて、同じ一つの漢字でも、人によってさまざまなイメージがあることを知りました。そもそも私は、幼い頃から文字の中に景色のようなものを空想するタイプだったため、文字から連想する色の違いが人それぞれ違うことについて知ることができたのは貴重な経験でした。
また、大学時代に何よりありがたかったのは、高木聖雨先生に「翠涛」という雅号をいただいたことです。同じ岡山県のご出身である高木聖雨先生とご縁をいただき、「瀬戸内の翡翠色の海、穏やかな涛(なみ)」という意味の名をつけていただきました。当時は緊張して由来をお聞きする余裕もありませんでしたが、海外などで自身のルーツやアイデンティティについて質問されることも多く、雅号について改めて考えるきっかけとなりました。これからも先生からいただいた名に恥じないよう、一歩ずつ進んでいきたいと思っています。
──2020年のNHK大河ドラマ『麒麟がくる』の題字も代表作の一つだと思いますが、この時はどのような景色をイメージされたのでしょうか。
中塚:「縦でも横でも……2行でも3行でも、とにかく自由に書いてほしい」というオーダーをいただきました。そして、まずは主人公の明智光秀をイメージしながら何パターンか揮毫しました。ところがその作品をドラマの制作チームにお見せしたところ、「主人公は明智光秀だけど、タイトルには安土桃山時代の物語をこの5文字に込めてほしい」という意見が満場一致で返ってきたのです。あの激動の時代を、『麒麟がくる』という文字の中にどう表現すべきか。その時ちょうどパリにいたこともあり、戦国時代の雰囲気を全くイメージすることができませんでした(笑)。非常に難しい課題に筆が止まり、すっかり途方に暮れてしまいました。
──その後、どのようにして完成したのでしょうか。
中塚:安土桃山時代のイメージを描きながら方向性を探っていきました。たまたま縁あって桃山時代の酒器を手にすることがあり、同じ時代につくられたものから得るエネルギーや空気感など、その時の経験に想いを巡らせました。精神的に追い詰められていたのか、ある晩「姿の見えない武将に追いかけられる」夢にうなされました。夢の中で、その武将からなんとか逃げた先に、小学校時代、足が早かった友人の家があり、玄関の扉を開けると、戦国時代の女性や子どもたちが安寧に過ごしている風景が広がっていました。その夢を境に制作は進み、最終的にドラマで採用された題字が完成しました。一生懸命頑張っていれば、いつかきっとゴールが訪れる、という暗示だったのかもしれません(笑)。
──現在も多方面で活躍されている中塚さんの今後の目標を教えてください。
中塚:今後は、日常の豊かさを大切にしながら、誰かの生活に寄り添う作品づくりをしていきたいと考えています。コロナ禍で私自身も生活や活動の仕方が大きく変わり、作品を待っていてくださるファンの方の存在が本当にありがたく、幸せに感じています。特に駐在中のフランス人ファミリーとの出会いは大きく、彼らの日常生活に作品を取り入れていただいたこと。お部屋ごとに作品を選んでいただき、子どもたちの成長と共にあなたの作品に寄り添ってほしいと言われたことは、日常の豊かさを大切にする文化に触れられた気がしました。また、個展にいらした6歳の少年が、私の作品を、お小遣いを何年貯めたら買えるのかとご両親に真剣に相談しているエピソードなど、作品とお客様との出会いを目の当たりにしたことは、考え方の変化にずいぶん影響したと思います。こうした経験から、新しい作品づくり、自分の表現の幅を広げながらも、人々の日々の暮らしと「共に生きる作品」をつくっていければと思っています。
──最後に、後輩たちへメッセージをお願いします。
中塚:「今この瞬間」を大切にしながら、学生生活を謳歌していただきたいと思います。私自身も経験がありますが、大学時代は早く何者かになりたくて背伸びをしたくなるものです。でも、いくら背伸びをしたとしても、いきなり一足飛びに50年後の自分にたどり着けるわけではありません。10年後、20年後に自分がどうなりたいかを思い描き、今後の人生をイメージしつつも、今の自分が与えてもらっている環境に感謝する。そうやって1日1日を大切に過ごしていくと、必ず道は開けていくと思います。応援しています。