1929(昭和4)年5月、大津淳一郎学院総長(第6代)のもと大東文化学院同学会を発展改称して、大東文化学院志道会が組織される。 志道会は学院総長を会長とし、在学生を主たる会員として構成し、「本学院建学ノ精神ヲ発揮シ、会員相互ノ親睦向上ヲ図ル」ことを目的とする。 大東文化学院志道会『志道』第1号(1930年3月)の表紙題字は、大津会長によるものである。 『志道』第1号では、論説・雑纂・文苑・会報・学院記事・会員名簿・編集後記などが記されている。 同号所収の「会報」をみると、庶務部・弁論部・剣道部・弓道部・旅行部・柔道部の活動内容がよく分かる。 なかでも、弓道部は「学院に正科として弓道を課せられた当時は或は義務的に練習せんとする傾向もあつた様であるが、年次が進むに従ひ殆んど全部が真に心身の鍛錬を期して進んで練習を積む様になつた事は、頗る喜ばしい事である。 …射道は礼を以つて根本とした処の修養の道であるのだ。 是吾人の以つて先づ人に奨める所以である我部春秋二季に於いて大会を開き競射を行ふのは、各人自ら平生の心身の工夫及其鍛錬を試みるのである。」(133頁)とし、「競射後茶話会に入りては、互に意気相通じ和気靄然、慢る者なく衒ふ者なく、誠に自然の美しき団欒となる。」(同頁)と述べている。 なお雑誌『志道』(第1~2号)は、大東文化大学図書館(板橋図・雑誌、請求記号PD/120.5/D28b)にて閲覧利用できる。