いま私の手元に、出口競『一目瞭然 東京遊学学校案内』(1925年2月)がある。著者の出口競(1890~1957年)は、『学者町学生町』(1917年)や『東京の苦学生』(1921年)など、多数の教育関係の文献を公刊している。初版(1922年4月)から、「序」を記している文部次官の松浦鎮次郎によれば、本書を「『学校都市』としての東京を紹介し、就学希望者の希望する程度に応じたる学科を学ばしむべき便宜を与ふる」ものとし、著者の出口を「学校教育内外の事情に通暁し」ており、「一般学生の利便をはかりつつある人物」と称している。本書のなかで、「大東文化学院」については「授業料を徴収せず、給費制あり。卒業生の優秀なる者は、本科中等教員漢文科、高等科は高等学校高等科同科の教員免許状を受く特典を賦与さるべし」(258頁)と記されている。とくに附表「東京学校総覧」にある大東文化学院の欄では、「授業料を要せず」の他に、特典として「卒業生は就職に就て懇切なる周旋を受く」と明記されている。
実際、本科1期生の影山誠一は、千葉県師範学校を卒業して県内の小学校教員(訓導)をつとめていたころ、新聞で大東文化学院の生徒募集記事をみて受験したのだという。小学校教員を辞めてまで大東文化学院を受験した動機について、「気に入ったのは何より給費制度でした。本科生は月額二十五円-三十五円、高等科生は五十円-八十円を支給し、教科書もタダというのですから」と率直に証言している。高等科1期生の西脇玉峰も、1期生の募集広告をみて「当時五十三歳であつた老学究の私の胸は何となく躍つた」とし、「しかも月六十円也の学費を給与する」と知って、喜んで在学をしたという。たとえ経済的に困窮していても、学ぶ意欲や実力を相応に有していれば、本学の門は開かれていた。