この資料は、本学教員である宮瀧交二教授(大東文化大学文学部英米文学科)から寄贈されたものである。 『大東文化大学新聞』復刊第1号(1956年4月、縦35×横25cm)は、毎月20日に大東文化大学新聞局から発行の新聞である。 巻頭において、大東文化大学学生自治会が「新入学生歓迎の辞」を述べている。 「我々在校生一同は、今日より大東文化大学学生として出発される諸弟妹の、前途を祝福し、絶大なる拍手を送ります。 …この貴重で、重要なる学生生活を、生かすか殺すか、それは一に諸兄姉[ママ]の自覚有無にかかっているといえるでありましょう。 諸兄姉[ママ]の門出に際しては、学生としての自覚をもって、積極性と実践性に徹し、主体性の確立に邁進されんことを切望してやみません」。 同号紙面では、学生の自治活動として、新たに誕生した自動車部の「技術の習得」も紹介されている。 「全学生待望の自動車部も昨年十一月、堀田先生の並々ならぬ御努力により発足の運びとなった。 学問のみに専念する方法も学生生活の過し方の一つであろうが、我々はもっとよりよき四年間の過し方を見出さねばならない。 兎角、毎日の勉強に追われ、無味乾燥な人間になり易い大学教育にもっと技術を身につけ、社会生活上必要な課外活動に従事することである。 この要望に合致するものこそ自動車部であると断言する。…我が自動車部は発足して日が浅い。 浅いが故に諸君等一人一人が歴史を作る人だという考えを抱き、二十有余の部員が一心同体となって活動されん事をお願いする」。 さらに投書欄では、日文3年Sの「図書館に思う」が示されている。「凡そ本学の図書閲[覧]室程賑やかな所は他にないと思われる。 一体ここを利用する学生の中にはほんとに勉強しに来ているのか、雑談しに来ているのか、食事しに来ているのかわからぬ者が多い。 この位迷惑な話はない。…あく迄も場所は場所だ。図書館をゴシップの場と心得ている者は一度あの神聖な迄に静粛な国会図書館を見学してくるとよい」。 そして編集後記では、「体裁は兎も角として、学内唯一のマス・コミュニケイションである。 大東文化大学新聞は我々学生のための新聞であり、学園生活のよりよき向上をはかるべく刊行するものである。 …お互いの主体性を確立するため、自主性を自覚するため、そして我々の学園をより充実させるために、どうか積極的な意見をどしどしお寄せ下さい」と結んでいる。