この資料は、本学の入試広報課から提供された「大学案内」の1冊(1976年)である。1976年の「大学案内」では、金子昇理事長が「本学の抱負」として、「昭和36年、関係者多年の宿願であった大学拡張計画が実現し、騒然たる都心を離れて、閑静な理想的教育環境である現在の板橋の地に近代的な新校舎を建設し、爾来毎年教育施設の拡充に努め、昭和42年4月には埼玉県東松山市に近代設備をほこる東松山校舎その他の附属施設を完成した。同時に新構想により、教育内容に画期的刷新を加え、優秀な教育者をもって陣容を充実強化し、本学における教育の万全を期している」と強調している(18頁)。さらに、卒業生や在学生らが「大学に学んで」として、自身の体験を交え率直に学生生活への思いを綴っている(58頁)。志土地徹さん(中国文学科卒・旺文社勤務)は、「私は、学生生活に張りを持たせる事と精神力を養う為に柔道部に入部、同時にマネージャーという仕事を行いながら練習に励んだ。苦しい練習に耐え、部員30数名が互に励まし合いながら、明日の勝利を目指し練習した。そして私はその中から生まれた友情を、これからの長い人生の中で大切にしてゆきたい」と述べている。二本柳美里さん(中国語学科卒・出光興産勤務)は、「空き時間を見て、更には何かと口実をつけては研究室に足を向けるようになった。先生や先輩、同輩が一緒になって、時には活発に討論し、時には基礎発音を繰返し練習し、あるいは静かに本を読んでいるという研究室の雰囲気は、クラブ活動に参加しなかった私にとって部室のような存在だった。この研究室で、私は知識もさることながら、それ以外の何かを確実に得たと思う」と語っている。嶋井恒博さん(日本文学科卒・三鷹市立第三中学校勤務)は、「ゼミでは『枕草子』を研究していた。著名な国文学者と同等の立場で研究していると思うと、実に楽しく、素晴らしい気持ちになると共に、私はこのゼミを通してものの見方、考え方が豊かになったと思う。一つのものを見るのに人間というのはとかく近視眼的になりやすい。しかしその一つのものでも多角的な文向[ママ]から見ると、多くのことがわかり、全体をとらえることができる。この多角的な見方、考え方はゼミの研究だけでなく、あらゆることにいえることである。そういう視野の広い見方、考え方ができるようになったことが、大学で学び得た最高のものである」と述べている。まさに、気持ちのこもったエールといえよう。