2021年度学位記授与式が3月22日、東京都千代田区有楽町の東京国際フォーラム・ホールAで挙行された。
式典は午前の部(経済学部、法学部、経営学部、スポーツ・健康科学部)、午後の部(文学部、外国語学部、国際関係学部、環境創造学部、社会学部)に分かれて行われた。
卒業者・修了者総数は2,666人。学士課程2,626人(文学部555人、経済学部337人、外国語学部315人、法学部366人、国際関係学部190人、経営学部373人、環境創造学部9人、スポーツ・健康科学部300人、社会学部181人)、博士課程前期課程・修士課程39人、博士課程後期課程1人。
学長告辞・内藤二郎学長
学部を卒業される皆さん、そして大学院を修了される皆さん、おめでとうございます。また、会場においで頂くことはできませんでしたが、今日に至るまでの長きにわたって陰になり日向になり支えてこられた御父母、ご家族、その他関係の皆さま方にも、心からお祝い申し上げます。
皆さんにとっての最終学年となった2021年度は、2020年度に続き本当に大変な年となりました。新型コロナウイルス感染症の爆発的な拡大によって、これまでに例をみない非常事態に直面し、世界は大きく混乱しました。昨年秋以降、ワクチン接種の効果もあってか、感染者や重症者は大きく減少しましたが、また、新たにオミクロン株の出現によって感染者が大幅に増加しています。卒業、修了を目指しておられた皆さんは、様々な困難や不安を抱えて大変だったのではないかと推察致します。そのなかで、困難、苦労を乗り越えて今日を迎えられたことは、きっと皆さんにとって自信になったことでしょう。また、色々と思い、悩んだ経験から得たものも多いのではないでしょうか。それだけに、卒業、修了できたことの喜びや達成感はより一層大きいことでしょう。
この点について少し視点を変えてみると、やはり重要なのは、「考え方」そして「心の持ちよう」ではないでしょうか。「心の持ちよう」は厳しい局面においてもマイナス面ばかりを見ずにそこから何を学ぶんだ、つかみ取るんだ、といった前向きな心、そして、きっとうまくいく、乗り越えられる、といったポジティブな考え方を持つこと、こうした心の持ちようが大切です。社会へ出ると、さらに多くの、そして多様な場面に遭遇します。むしろ厳しい状況の方が多いかも分かりません。今回の感染症はまさにそれです。厳しい年であった2020年、そして2021年をどのようにとられておられますか。「よりによって自分が大学、あるいは大学院を終える年になぜこんなことになったんだ、運が悪いな」など、ある種の不満や納得がいかない思いを抱いている方もおられるかも分かりません。他方で、つらく苦しいことではあったけれども、これまでごく普通のこと、当たり前だと思っていたことがいかに貴重でありがたいものであるか、ということに気付かされる機会にもなったでしょうし、人間がいかに人とのかかわりの中で生きているのか、いや、さらに言えば「生かされているのか」ということを感じた方も少なくないと思います。めったに経験することのない事態に遭遇した時、つらい思いをした、満足に過ごすことができなかったというマイナス面に注目するのか、そうではなく、厳しい状況を経てまた新たな発見、経験が一つ増えたと考え、改めて自分自身を見直し、それらを人生に生かしていくのか、というのは皆さん次第です。
そこで平常心を保ち、自分自身を上手に律する、ということが必要となる場面が多々あります。そんな時に重要なのが心の持ちようです。世の中には色々なタイプ、性格の人がいますが、一つ言えることは、性格よりも、むしろ心の持ちようで人生の局面が随分変わるものだ、ということです。そして、心の持ちようは、訓練して身に付けるものだとも言われます。訓練といっても大げさに考える必要はありません。日々の生活の中で少し意識し、ふと気づいたときに改めよう、といったある意味気楽に、しかし地道なことを繰り返していくことです。是非、心の持ちようを整える訓練をなさってください。
さて、私はしばしば共に生きる、「共生」という話をします。このことについてもじっくりと考えていただきたいと思います。特にコロナ禍の今、非常に重要なことだと考えています。一つは人間と自然とのかかわりにおいて、そしてもう一つは人間同士の関係においてです。経済、社会が発展し便利になり、人間が豊かな生活を送れるようになった一方で、激しい気候変動、地震や台風などの大規模な災害が頻繁に起こり、地球の存亡自体が危ぶまれるようになっています。人間が自然との共生に失敗した結果と言えるかもわかりません。今回の新型コロナウイルス感染症の問題についても、専門的なことは分かりませんが、ひょっとすると人間と自然との共生にかかわる問題ではないかと私は感じています。では人間同士はどうでしょうか。21世紀の今なお、世界では紛争や争いごとが絶えません。今回のロシアによるウクライナへの軍事侵攻は、本当に信じられないことですが、現実です。自らの利益だけを考え、正当化する不寛容な態度は厳に慎まなければいけません。ましてや武力によって他を攻撃し、侵略することは絶対に許されることではありません。また貧困や飢餓の問題も解決されず、それどころか益々深刻化しています。人間が、人間の都合で行ってきたことで、皮肉にも我々人間自身が危機に直面しているのです。このままでは、いずれ人間社会が持続不可能になってしまうでしょう。今こそ、「共生社会」の大切さを真剣に考なければならない、そして行動しなければいけないでしょう。特に若い皆さん方への期待は大きいです。しっかりと認識し、実感していただきたいと強く思います。
皆さんは、「精力善用・自他共栄」という言葉をご存じでしょうか。講道館柔道の創始者である嘉納治五郎先生が講道館柔道の指針として掲げられた言葉です。自己を高め、世の中の役に立つ存在になること、そしてそれを世のために活かすことによって自分も他人も共に栄える、という教えであると理解しています。柔道の稽古、鍛錬を通じて、まさに「共生社会」の実現に貢献することを訴えたものでしょう。是非参考にしてみてください。
ご存じのように、大東文化大学の理念には「アジアから世界へ―多文化共生を目指す新しい価値の不断の創造」があります。また、来年2023年に100周年を迎えるにあたり、「文化で社会をつなぐ大学」というミッション、そして「真ん中に文化がある」というタグラインも策定しました。これらは、「共生社会で違いを認め、尊重し合う」ということだと考えています。国や民族の違い、言葉や文化、宗教などの違いもありますし、また同じ国や地域であっても生まれ育った環境、ジェンダー、年齢の違いなど様々です。大切なことは、それぞれの違いを認め、尊重し合い、共に生きるということです。特に大東文化大学で学んだ皆さん方には、違いを受け入れると同時に、「寛容な心」を大切にしていただきたいと思います。
卒業後、そして新型コロナウイルス感染症が終息した後には、世界は大きく変わるでしょう。何がどのように変わるのか、それは今はまだ誰にも分かりません。ただよく言われているのが、これまでにも増してICTを活用した社会が大きく世界に広がっていく、ということです。ポストコロナに向かって社会全体が大きく変革していくことになり、それに伴って科学技術がさらに発展し、ICTやAIが急激に社会に広がることは間違いありません。こうした大きな社会の変化に対応すべく、知識や技術を醸成していくことが重要な課題であることは否定しません。ただし、科学や技術の進歩に人間が流されてはいけないということも敢えて指摘しておきたいと思います。かの有名な歴史小説家、司馬遼太郎先生が『二十一世紀に生きる君たちへ』という子供向けのエッセイの中で、このようにおっしゃっています「人間は--くり返すようだが--自然によって生かされてきた。古代でも中世でも自然こそ神々であるとした。このことは、少しも誤っていないのである。歴史の中の人々は、自然をおそれ、その力をあがめ、自分たちの上にあるものとして身をつつしんできた。この態度は、近代や現代に入って少しゆらいだ。-人間こそ、いちばんえらい存在だ。という、思いあがった考えが頭をもたげた。二十世紀という現代は、ある意味では、自然へのおそれがうすくなった時代といっていい」と。
また「二十一世紀にあっては、科学と技術がもっと発達するだろう。科学・技術が、こう水のように人間をのみこんでしまってはならない。川の水を正しく流すように、君たちのしっかりした自己が、科学と技術を支配し、よい方向に持っていってほしいのである。」とも述べておられます。東日本大震災から10年の節目を迎えた先日、私は、この司馬先生の言葉を思い出しました。我々が主体的に技術を活用するという意識と実践が問われることになります。世の中が便利になる一方で、実はそれらを人間がコントロールすることすらできないという一種危険な状況に陥っているのではないでしょうか。これを科学技術の進歩と手放しで称賛することが果たして良いことなのでしょうか。今こそ基本・原点に返って我々人間の生き方を考えないといけないという思いが私の中で年々強くなっています。
先ほどご紹介した「文化で社会をつなぐ大学」というミッションも、当然その中心は「人」です。人と人、そして人と自然の共生が大前提です。人間が科学や技術に飲み込まれてしまってはいけない、ということにも通じます。皆さんは、来年100周年を迎える長い歴史と伝統のある大学、そして「共生」を重んじる大東文化大学の卒業生になります。どうぞそのことに誇りを持ち、同時に大学の良き理解者、応援者になっていただければ大変うれしいです。そして、それぞれが社会で色々な経験をし、力強く生きていってほしいと思います。大いに期待しています。そして折に触れ、友人や教職員と共に過ごした青春時代を懐かしく思い出し、母校に思いを寄せていただければと思います。大東文化大学で過ごした時間、そしてその間の経験が皆さんを鍛え、お一人おひとりの自信につながっていると信じています。そして、そのことが今後の皆さんの人生を支える礎となっていくことを心から願っています。くれぐれも健康には留意してください。健康でいれば、いつか好機は巡ってきます。大いなるご活躍、ご健闘をお祈り致します。本日は誠におめでとうございます。
理事長祝辞・中込秀樹理事長
皆さんご卒業おめでとうございます。保護者、ご父兄の方々にも心からお慶び申し上げ、代表してお祝いの言葉を申し上げさせていただきます。
4年前のみなさんの入学式は強く印象に残っていますが、それから4年経ち卒業を迎えるということで感無量の思いです。
只今学長から皆さんに対し心情溢れる告示があり、みなさんのこれまでのご努力、ご労苦を労い、かつ明るい将来のあり方を指し示していたかと思います。コロナ禍についても話がありましたが、皆さんの学園生活、大学院生活は決して平坦なものではなかったと思います、リモートでしか授業を受けられない大変な日々が続き、相当なご苦労だったことでしょう。また、学園生活というものは学問の習得だけではなく、先輩、学友、先生方との接触や切磋琢磨といった経験を通じて、人間的に成長していくという場を提供するという意味でも大きなところではありますが、皆さんにそういった場が十分に提供されたかということについては我々としても忸怩たるものがあります。ただ、いまここに皆さんを拝見するとそういった困難を乗り越え、学問を修得され、さまざまな人間関係を形成され、一段と成長し今日を迎えているものと拝見しています。皆さんのそのためのご努力、ご労苦に敬意を表したいと思います。
コロナ禍は3年になった頃に発生し現在ようやくピークダウンと言われていますが、まだ日々相当数の感染者が報告される状況にあります。まさにその渦中で学園生活を送ったことは大変だったと思います。まもなく収束を迎えることを祈っていますが、今後の生活においてもこの状況を克服しながら大いに成長してほしいと思います。現在、今日では考えられないような戦争が起こっています。このような非条理、非合理な状況はどの国にも発生しないとは言えず決して他人事ではないと感じます。私たちが国に在ること、国が国として建っていることの意義やそれがいかに自由であることが嫌でも思い知らされるような事象です。一刻も早い終息を祈っています。
これから社会に出ると色々な意味で予想、期待と違うことが起こると思います。漠然と考えていた社会のあり方と現実に経験して直面する社会の現状は大きな食い違いが生じがちです。青春というものは石川達三の小説にもありましたが、蹉跌、しくじり、危地そういったものが発生するものです。色んな意味で思い違い、挫折がたくさん発生します。順風満帆で人生を過ごす人はごく少数で、大方の人はさまざまな失敗なり苦労なりを経てなんとか社会人としてやっていくというのが実際です、学生時代にも受験や失恋などの失敗もあったかもしれません。社会に出て働き、自分で自分を磨き、養っていく社会に出ることは同じ失敗、苦労でも意味が全く違ってきます。それだけの責任を負って毎日社会で営みをしていかなければならない、そこにおいて大学で学んだ様々な知見、方法は大いに役立つと思います。これは日頃苦労してようやく卒業して獲得したさまざまな知見が色々なところで発揮されていくことになりますし、そういった知見というのは卒業がゴールではなくて、引き続き身に着けて、いろいろな経験や失敗などで益々磨いていかなくてはいけないと思います。そういう意味で今日は、ひとつの経過点でありこれからまだ頂があるというところにあると思います。将来を思い描き、そこに向かっていくことは大変大事なことで、「もういい加減諦めよう」と思うときがきっとくるかと思いますが、そういうことに挫けないで、初心を忘れないで、一歩一歩進んでいっていただきたいです。
私は当学園の卒業生ではありませんが、色々な世界でご活躍されている卒業生と時々お会いし、そういった方々に力づけられます。皆さんも卒業して社会でそういったようになっていただきたいです。100年を迎える大東文化大学の伝統を担っていただきたいと思います。皆さん本当におめでとうございます。これらもどんどん頑張っていってください。
表彰
学長賞には、令和3年度 改組 新 第8回 日展 第5科(書)で入選し、「書の大東」を体現した中村ふくさん(書道学科)、永田瞬さん(書道学専攻博士課程前期課程)の2人が表彰された。
卒業生代表挨拶
〈午前の部〉経営学科・飯塚 美紅 さん
〈午後の部〉社会学科・岡田 啓太 さん
長く、厳しかった冬も、ようやく終わりをつげ、膨らみ始めた桜のつぼみに、春を感じる季節となりました。本日は、新型コロナウイルス感染症がいまだ収束しない難しい状況の中、私たち卒業生のために、このような盛大な式典を開催していただいたことを、感謝申し上げます。私たちが今日、この場で集い、ともに卒業できるということを、心より嬉しく思います。
私は、この4年間の大学生活を、不安に包まれる中で始めたことを、今でも昨日のことのように覚えています。高校時代とは異なる環境で、毎日、片道2時間をかけての電車通学。時には、つい電車内で居眠りをしてしまい、小川町や秩父の美しい山々を見ることになったのは、今となっては良い思い出です。
私は社会学部に在籍しました。社会学は文字通り、社会に関わる広範なものごとや現象を考える学問です。人は誰しも、何らかの社会に身を置いています。社会を形作る現象は無数にあり、これを捉える視点も人により様々です。このうち、私がこの4年で見知ったものはごく一部です。それでも、ものを視て考える面白さを経験することはできたと感じています。
この大学においては、私たちが社会学部の一期生であり、教職員の皆様には、ご苦労もあったかと思います。そうした中でも、入学当時の学部長でいらっしゃった馬場靖雄先生をはじめ、先生方には常に学生の反応を見ていただき、その都度柔軟に対応していただきました。これは4年次の最後の最後まで一貫しており、非常に有意義な時間を過ごすことができました。
私はまた、この4年間でたくさんの人に迷惑や心配をかけてきました。今でも申し訳なく思っています。だからこそ、関わってくれた方の思いやりや優しさに触れる機会も数多くありました。私の大学生活を支えてくれた方々へ感謝申し上げます。
本日をもって、私たちは大東文化大学を卒業します。大学生活を通して学んだことや培った経験が、今後、いつどのような所で活きてくるかは、私にはまだ分かりません。ときには、今までに費やした時間や労力が、無為なものであったと、考えてしまうような困難に直面することもあるかもしれません。しかし、諦め、目を背け、自己満足に陥ってしまうのではなく、ものごとを視て、感じ、考えるということ、そして、勇気を以て一歩前に踏み出すという、単純であれど難しいことができたとき、私は、この4年間のすべてに感謝するであろうと、信じています。
最後に、大東文化大学の教職員の皆様、また在校生の皆様の、更なるご活躍とご健闘を心よりお祈り申し上げ、卒業生代表のあいさつとさせていただきます。
司会進行は昨年度に引き続き、DHK(大東放送協会)が務めました。