人文学系領域の危機が叫ばれ、新たなパラバイムが模索される中、'学び'が脚光を集め、学術史研究が盛行している感がある。近年、二松学舎大学では21COE(2004〜09)、SRF(2015〜)において、一貫して'日本学'のための漢文研究を提唱している。日本漢学と日本医学史、及びその交差地点など、筆者自身の関心に即して報告する。
研究所の活動・Report
平成27年度 座談会
- 日時
-
平成28(2016)年1月30日(土)※聴講自由
講 演:13:00~14:30
座談会:14:40~15:30
- 会場
- 大東文化会館 K-0404
2名の講師をお招きし、それぞれに講演をいただいたのちに、座談会に移行します。座談会は、2人の講師を通じて人文科学の他領域の情報を得ながら、共同研究体制のありかたのヒントにし、共同研究の活性につなげようとするものです。専門を越えて活発に座談いたしたく、ご参加をお待ちしております。
二松学舎大学教授 町 泉寿郎 氏
- 題目
- 日本漢学研究と日本医学史研究
二松学舎大学非常勤講師・同SRF研究支援者 川邉 雄大 氏
- 題目
- 真宗僧による漢学受容と日中文化交流
江戸期、真宗僧は学寮(学林)で仏学・真宗学を学ぶ一方、漢学塾で漢学を学んでいた。なかでも、広瀬淡窓が設立した咸宜園(豊後日田)では、多数の真宗僧が学んでおり、彼らは幕末明治期に、宗門の中核として本山や海外布教などで活動した。本発表では、幕末期に咸宜園をはじめとする漢学塾で学んだ真宗僧たちが、維新後中国布教を行うにあたって、現地でいかに清末文人たちと交流していったかについて明らかにする。