インドネシアのパジャジャラン大学(UNPAD)に留学した川上翔太さんと白幡友華さんに、留学体験で得たことや留学を目指す後輩へのアドヴァイス等について、新里学部長がインタビューを行ないました(10月29日)。その一端を紹介します。
川上翔太さんは、2017年3月から2018年の2月まで、そして、白幡友華さんは、インドネシア政府奨学金(DARMASISWAダルマシスワ)奨学生に採用され、2017年8月から2018年7月までUNPADで学びました。二人とも、2016年度のインドネシア現地研修に参加しています。
◆留学を振りかえって、もっとも印象に残っていることは何ですか?
川上さんが2歳の頃、実家にインドネシア人の農業研修生がいたそうです。留学を機に、20年ぶりに、その方をスラウェシに訪ねたとき、日本の農業技術を導入し、現地の農業を牽引している姿を見て感動したといいます。
白幡さんは、現地研修のホストファミリーのところで、一年間ホームステイをしていました。ご夫婦には二人のお嬢さんがいて、お嬢さん夫婦と子供、それぞれのご主人の両親とも、まるで親戚のような交流することができたといいます。大学にいかないときには、子供たちの面倒もよくみたそうです。生涯大切に付き合っていきたいインドネシアの家族ですと、白幡さん。
◆留学生活でもっと辛かったことは何ですか?
留学後、インドネシア語がなかなか上達せず、いつになったら思うようにしゃべれるようになるんだと焦ったり、病気になったとき、症状を適切に伝えることができなかったことです。
◆語学力が上達したなと実感できたのはどんなときですか?(1年間の留学でインドネシア語の語学力はどのくらい上達しましたか?)
半年後くらいでしょうか。先生方の質問がすんなり耳に入ってくるような感じがありました。留学終盤には、日常生活には困らない程度の語学力は十分につき、新聞などもほぼ理解することができるようになりました。
白幡さんのホストファミリー夫妻は、家庭内ではスンダ語で話をするそうです。それを見ながら、最初は、インドネシア語で話しているのだと思い、まったくわからないと落胆したそうですが、実はスンダ語だとわかりほっとしたそうです。留学の終わり頃には、ホストファミリー夫婦がスンダ語でどんな話をしているのかが、だいたいわかるようになったということです。思わぬ副産物でしたね。
◆現地研修と、留学と何がどう違いますか?
現地研修では、学生は「お客さん」扱いで、何でもやってもらえていたが、留学となると自分で頼まないと何もしてもらえない。
授業も、現地研修は日本語を話せる日本語学科の先生が中心となってカリキュラムが編成されているが、留学中の授業は、インドネシア語学科の先生が中心なので、日本語で説明されることはない。
◆卒業後の進路について
川上さんも白幡さんも休学して留学したため、2019年4月から4年生になります。川上さんは、青年海外協力隊に応募したいと考え、日本語教師資格を得るために日本語学校に通っているといいます。将来は、海外で日本語を教える仕事に就きたいと考えています。
白幡さんは、インドネシア語が使える仕事に限定せず、広くインドネシアとの関わりのある仕事を探したいと考えているそうです。
◆留学を志す後輩にアドヴァイス
・インドネシアが好きであることが一番大事だと思う。インドネシアが好きであれば、留学前のインドネシア語の能力や大学での成績はあまり関係がないのではないか。
・現地研修で馴染めなかったら留学生活は厳しいかもしれない。
・郷に入れば郷に従え。「日本はこうなのに、インドネシアは・・・」と、現地の人々への不満を語る日本人の留学生をよく見かけたが、文化の違いはいかんともしがたいことであり、それを批判しても、怒っても、意味のないことだ。違いを違いとしてうけ入れられるだけの異文化理解は不可欠。そのためには、文化に関する基本的な知識をもっていることも必要ではないか。
・activeに動くこと。自分からしゃべらないと友だちができない。
インタビューを終えて
留学体験が学生を大きく成長させることを再認識させられたような気がします。「activeに動くこと」「自分から話しかけなければ友達はできないし、自分から頼まなければ誰も助けてくれない」――留学前にはどちらかというと控え目な学生だった白幡さんの言葉に感心することしきりでした。
何よりも嬉しかったのは、二人が現地の人々の行動や生活文化を日本と比較して、憤慨したり批判することの不毛さをしっかりと理解し、「実感と共感をともなった」異文化理解を身をもって実践してくれていたということです。
川上さんと白幡さんの学年のインドネシア語クラスでは、5名の学生が留学を体験しています。現在、休学をしてバリ島のホテルでインターンシップに従事している学生もいます。後輩たちも、このようなactiveな先輩のあとに続いてもらいたいものです。