現地研修報告ーベトナム (ベトナム国家大学ハノイ人文社会大学)
2024年度のベトナム現地研修は8月16日~9月4日の計20日間、私たちは全日ハノイに滞在し、滞在中は、ハノイにあるベトナム国家大学ハノイ人文社会大学で勉強した。
現地研修前の勉強
現地研修に行く前は、ベトナムの歴史の流れ(中国の支配から、ドイモイまで)について勉強した。ベトナムは10世紀までは中国の支配下にあった(北属期)。その後、丁部領の独立によって都はニンビンに置かれ、40年の間、王朝(丁朝、黎朝)が存在した。黎朝が滅んだ後、李太祖(リ・タイ・トー)がハノイに都を移したことで、ベトナム初めての長期王朝である李朝(1009~1225)が生まれ、西山朝(1787~1802)までの都となる。
しかし、フランスの支援もあって阮朝(1802~1945)が西山朝を倒し、都がフエに移った後、フランスに侵略され、フランスによる植民地時代が始まる。1930年以降になると、ホー・チ・ミンなどの共産主義者がベトナム共産党を結成し、植民地解放運動を行っていく。1941年には同氏がベトナム独立同盟(ベトミン)を結成し、民族統一戦線による独立運動を展開。1945年8月には日本の敗戦に伴い、ベトミンによる一斉蜂起が行われ、同年9月2日ホー・チ・ミンによる民主主義共和国の独立が宣言された。
そこからベトナムは3回の戦争を経験する。1回目はベトナム民主共和国とフランスによるインドシナ戦争(抗仏戦争1946~1954)。2回目はジュネーブ協定により南北が分断した後、南ベトナムに介入したアメリカの侵略戦争が始まる(ベトナム戦争1960~1975)。その結果、北ベトナムが勝利し、南北は統一され、ベトナムは社会主義国となる。3回目は、中国が支援していたカンボジアに侵攻したことによる中国とベトナムの戦争である(中越戦争1979~1989)。
南北統一後、北ベトナムの政治体制を南部に押し付けたことにより、基幹産業の国営化、農業の集団化が起こり、経営の自由を奪われた。平等という考え方によって、真面目に働いても怠けていても給与が変わらないことから、国家としての生産力が低下した。そのことを危惧した政府は、国家経済の回復のために社会経済から市場経済に転換するための政策であるドイモイ(刷新)を行った。ドイモイとは政治体制は変えず、経済の自由化政策であり、その結果、回復に成功し、今も続けている。
目標
現地研修の授業を受けて、私は目標を2つ挙げた。一つ目は、現地研修の授業で興味を持ったニンビン省のホアルーについて学ぶ。もう一つは、自分の言葉で現地の人とコミュニケーションを取れるようにする。
現地での授業
現地では会話表現や単語などを勉強したが、特に印象に残っているのが発音である。ベトナム語は母音が12種類、aだけでも3種類存在し、aよりも音の長さが短いă、aのくちの状態で下を丸めて出すâなどの発音を口の動きを使って教えてもらった。30分ほど練習した後、二人組を作り、相手が言った単語に対し文字やジェスチャーで回答をするゲームをした。指定した単語を何度行っても相手に伝わらず、その時に正確に発音ができていないことを痛感した。しかし、諦めずに口の形を意識して何度も言った末、さっきまで曇っていた相手の顔が晴れ、確かに伝わったと感じたときは本当に嬉しかった。
自由時間
普段の生活は苦難の連続だった。ある日カフェに立ち寄った時、授業で学んだ成果を発揮しようと店員さんに声を掛け、メニュー名をベトナム語でいうと店員さんが困った顔をする。何回か試してみたが伝わらなかったので、メニュー名を指さし1つと言ってその場を収めた。
また、洗濯物をホテルのスタッフの方に渡す時、受け取りの時間を聞いたらスタッフの方が詳しく説明してくれたが、わからない単語が多く、翻訳アプリを片手に何度も訳しながら聞いたので、10分ほど時間を取らせてしまった。自分の言葉で会話をしようと思ったが、言っても伝わらないと決めつけてしまい、翻訳アプリを頼ってしまう場面が多々あった。
別の日にはニンビン省の古都ホアルーに行った。古都ホアルーはベトナムが中国から独立した後、ディン・ティエンがベトナム北部を統一。国号を大瞿国として初めて王朝が置かれた場所であり、17世紀に再建された。ホアルーにあるディン・ティエン・ホアン祠に入る入り口にはディン・ティエン皇帝の生誕を祝う紙が貼られていた。中に入ると、右側にはテニスコート10個以上もの広場があり、ヤギが追いかけっこをしていた。丁朝の神社は瓦や、柱部分に龍の形が施されており、権力や力を象徴するものとして考えられている。
一緒に行ったガイドさんの話では、丁朝、と黎朝が約40年で滅んだ理由は、丁朝は王朝をめぐる争いが起きた際、王と長男が殺されてしまい、その後、三男が王になるも、当時は6歳と幼かったので倒されてしまった。黎朝は、丁朝の将軍として仕えていたレ・ホアンが丁朝の没後、丁朝の妻と再婚した。しかし、この王朝も長くは続かず、僅か12年で滅んでしまった。この祠の他にハノイにある文廟や、郊外に位置するドゥオンラム村には亀の上に鶴が乗っている置物があった。「鶴は千年、亀は万年」と日本では長寿を表す動物とされているが、ベトナムではその意味のほかに天と地、災害から身を守るという意味がある。天と地に関しては、鶴が天、亀が地を表している。また、災害に関しては、地震や津波など地上で災害が起こった時は鶴に乗って上空へ行き、豪雨や雷などの上空で災害が起こった時は亀に乗って海へ行くと考えられていた。古都ホアルーでは、40年で2つの王朝が滅んでしまった理由や、龍や亀が神社のいたる場所にある理由を知ることができた。
達成できたこと、達成できなかったこと
私が達成できたことは、ニンビン省のホアルーについて理解を深めることができたことである。ニンビン省で生まれた丁朝と黎朝が王朝をめぐる争いによってわずか40年で滅亡したことや、神社に鶴と亀が一緒に置かれている理由については、鶴と亀は長寿を意味する存在として、また、災害から身を守ってくれる守り神のような存在であったということを知ることができた。ニンビンにいくつかある王様の建物は少ない時間の中で建設を行ったため、ほとんどの建物が同じ間取りであることも知ることができた。
一方で、私が達成できなかったことは、自分の言葉でコミュニケーションをとることである。現地の人々との会話でわからない言葉が出たり、自分の言葉が伝わらなかったりした際、すぐに翻訳アプリをつかってしまい、自分の言葉を直接表現することができなかった。翻訳アプリを使ってしまうのは自分の言語のレベルの低さと、自信の無さが大きく起因したと思われる。この状況を打破するためには、自身の言語のレベルを上げるために単語や会話表現、特に、発音に関する学習を行うことと、日常的に他者との会話を行うことだと考えられる。