外国語学部英語学科の若狭 晋です。Western Michigan Universityに今年の8月下旬から奨学金留学にて留学しております。早いものでFall Semesterも間もなく終了し、どことなく物悲しさを感じる今日此頃ではありますが、ここまでのアメリカ生活で感じた日本との違いについて2回目の報告を通してお伝えしていきたいと思います。
【クラスについて】
私は、フランス語と心理学を中心に勉強しています。私の今まで受けてきた日本とは異なる非常に興味深い体験を紹介したいと思います。
フランス語、所謂、語学系のクラスについてですが、勿論、私の受講しているクラスにはテストが存在します。小テスト、中間試験、期末試験があり、日本のように問いに答える筆記形式の問題です。詳細を述べると、英問仏答・仏問英答で仏語の資料読み取りや論理に沿って解答を完成させる問題などがあります。リスニングも筆記試験の一部に組み込まれています。日本のような訳出問題はありません。
ここまでは、日本とあまり変わらないため、あまり面白くはありません。
さて、ここからです。 アメリカにおける語学クラスで、重要視されるのは、話す力と創造して書く力です。確かに、上記のような筆記試験も大切ではありますが、インストラクターと一対一でのOral試験並びにEssay試験も課されます。その2つは、勿論、与えられた課題に対してミスなく完璧にクリアしていくことも大切なことですが、正直、いい意味であまりそのように感じません。日本では、英作文におけるスペリングミスや細かなミスで減点され、受験者はその点に神経質になりがちで、なかなか筆が進まず、口が動かず、ということが多いように思います。ですが、他の語学の授業風景も訊くと、それよりもまず、間違っていてもいいから表現することに重点が置かれていることがわかりました。その為、多少のスペリングミスや文法が間違っていてもその点は寛容です。アメリカの教育システムがそれを強調しているのか定かではありませんが、アメリカで教育を受けてきた生徒は、日本と同じような試験ではあまり得意ではないように感じられますが、表現する試験、特に話すことにはとても自信があるようです。また、興味深いのは、音による記憶が非常に得意であるということを感じました。スペリングは曖昧でも、音として認識しているため、話すことに自信があるのもそれが関係しているのかもしれません。
私は、音よりも、スペリングとしての記憶が主流であるタイプだと思っているため、音の区別など音で苦労しております。
ところで、語学のクラスを受講する生徒は、少なくとも2言語を流暢に操れるということも稀ではありません。日本ではなかなか考えがたいことですが、アメリカでは当たり前だそうです。書くことができなくても、話すことならできるという生徒も多いように感じます。
【生活について】
日本との違いという点で述べると、交通事情が大きく異なります。周知の事実ではありますが、車の運転は日本とは逆です。その知識だけでは面白くありません。日本と異なる点、特に私の住んでいるミシガン州では、ミシガンターンという、基本的に、たとえ信号が赤であれ、特に断りがない限りは右折のみ可能であるというルールがあります。また、踏切も一時停止せず、そのまま突っ切ります。右見て左見てなんてことはしません。なぜでしょうか。ある車事情に詳しい地元の方に訊いたところ、諸説あるようですが、私が伺った話は、止まってしまうということは、それだけ加速のときにガソリンを使うので、オイルショック時代にそれではガソリン消費が増え効率的ではない、との理由でミシガンターンが存在するとのことでした。
その方曰く、「日本はその頃ハイブリッドカーに力を入れたが、アメリカ人は止まらないことに力を入れたんだよ、ガハハハハ」と冗談交じりに熱く語ってくれました。車も中古であれば、原付バイクの新品よりも安く変えてしまうほどの、車社会アメリカの面白いお話を目の当たりにしました。
このように、日々、新鮮な情報に出会い、刺激を受け、好奇心が止まりません。まるで、言葉を覚えたての子どものようだなと感じています。
アメリカ人のスタンダードな寿司の概念(売っている寿司と呼ばれる食べ物です、マグロ、チーズ、アボカド、内部に海苔という構成です。)
スタンダードな水の勢い(寮のウォーターサーバーの水は、いつも勢いが強すぎて壁がビチョビチョです。アメリカンクオリティなのでしょうか)
スタンダードでない私の体重(アメリカに来て約三ヶ月、体重が15kg近く増えてしまいました、食べ物って怖いんですね。)