経営学部経営学科2年の山田啓斗です。今回のレポートでは前回のレポートの続きとして、オーストラリアでの生活を通して感じたことと自分の英語についてまとめたいと思います。
まずはオーストラリアについて簡単に説明します。オーストラリアは日本の真下の南半球に位置し、時差は+1時間とほぼ変わらないです。また日本とは季節が逆でこの10月の時期は初夏にあたります。僕のいるゴールドコーストは世界的な観光地として有名で、特に長さ約57㎞を誇るビーチには多くのサーフスポットがあり、多くのサーファーが世界中から訪れます。またオーストラリアは様々な国の人から成り、多国籍文化が特徴的です。そのため多くの人々は様々な文化や価値観を尊重し合い、お互いのことを理解しながら生活しています。僕が日本と比べて大きな違いを感じたのは自由さの違いです。最低限のルールやマナーはありますが、人それぞれ自分なりのペースで行動し、社会も個人の自由を保証しているように感じます。また僕が日本と比べて感じた大きな違いは人々がとてもフレンドリーな点です。僕は安全性やサービスに関しては日本の方が世界に誇れると思います。しかし、人とのコミュニケーションという点では欧米文化の神髄がいたるところで垣間見えます。店員さんとの会話、電車内での会話など知らない人とするコミュニケーションはここでしか感じられない人の温かさを感じます。僕はこれら現地でしか感じられない様々なことを学んで、毎日刺激を受けています。
次に僕の英語についての観察を書いていきたいと思います。僕のこの留学の最大の目標は語学学校の卒業と英語で大学の経営学の講義を受けることです。そして今の僕の現在地は語学学校卒業目前といったところです。ここまでの道のりの中で僕の英語力は確実にレベルアップしています。しかし完璧ではないです。むしろ僕は完璧とは何かと考えてしまいます。まず大前提として、言語の役割はコミュニケーションをとる際の道具という部分を多く占めていると思います。そしてその道具は持つ人によって様々な使い方、癖、特徴があります。その背景には文化や価値観などたくさんの要素を含んでいると思いますが、ここでは割愛します。つまりオーストラリア人が使う英語、アメリカ人が使う英語、これらすべてに完璧な使い方など存在しないと思います。例えば道具をオーストラリア人が使っているように真似てみる、聞き手が話し手の使い方を理解するなど、試行錯誤してみるこれらを総じて言語の習得だと思います。実際に語学学校では様々な英語が飛び交い、生徒はそれらを英語として学んでいます。難しく少し偏った話になりましたが、僕がここで一番何が言いたかったというと、前述したとおり、英語はコミュニケーションの道具に過ぎないという事です。そして僕はまだその道具の使い方を覚えているだけでまだ何も成し遂げていないという事です。東京オリンピックを控える中で、英語の必要性はますます高まっています。世界の流行についていくために今自分に何ができるのか、またこれから何をしていくべきなのかをこの留学を通して考えさせられます。
次回、最後のレポートは留学のまとめをしていきたいと思います。